授業参観は母親たちのおしゃべりの場ではない。ほら、子どもが見てるよ

授業参観っていつからお母さんたちのおしゃべりの場になったんでしょうか。

保育園でも行事のたびに子どもそっちのけでおしゃべりが止まらないお母さんたちはいましたが、まさかここでも同じことが起きるとは驚きです。

もちろん声をひそめてます。

だけど、ヒソヒソヒソヒソ、コチョコチョコチョコチョ、ヒソヒソヒソヒソ、コチョコチョコチョコチョ…って結構ひびくんですよね。

子どもは親に見て欲しいもの

私もそうだったけど、授業参観っていうのは子どもたちもそわそわします。

「お母さん、来たかな?」「あ、来てる来てる」そうやって、チラチラうしろを振り返ってしまうのです。

発表したあとなんかは特に。着席がてら後ろをチラリ。見てくれた?ちゃんと言えたよ。

そうやってお母さんの顔を確認したいという子どもの心理は、今も昔も変わらないなとほほえましく見ています。

でもその思いを受け止めない母親が増えてきているんですね。

ある男の子が発表を終えて母親に視線をおくると、母は隣に立つ別のお母さんとおしゃべりに夢中でした。発表したことも気づいていないようです。

男の子は、母の姿を数秒見つめてまた顔を前に戻しました。

お母さんが来てくれる特別な日であったはずなのに、見てもらえなかった。子どもの心を思うと、胸が痛みます。

廊下ではなく教室に入りましょう

昔は参観する親が立つのは教室の後ろでしたが、今は廊下に立つ人がとても多いですね。

はじめは「遠慮して入ってこないのかな」と思ったんですが、教室はガラガラだしスペースもたっぷりある。だけど入ってこない。

赤ちゃんを連れていたり、兄弟の教室移動のためとか事情もあるのでしょうが、それでも教室でみることをおすすめします。

土曜参観のとき、ふだんは見られない夫が教室に入り、私は廊下で授業風景を見ていました。やはり廊下と教室では全然ちがいます。

先生の話している内容があまり聞こえないし、子どもたちの発表もよく分からない。戸は開いているのに、なんだか別空間にいるような感覚になりました。

『参観』とはその字のごとく、観るだけではなく「参加」することも含まれています。一方で、廊下にいるのは参観ではなく「観覧」です。

「廊下だからいいや」という発想がうまれても仕方ないほど、ただの見物人になってしまいます。

おしゃべりママに捕まらないために

事情があって廊下にいるお母さんの中には、しゃべる気はないのにおしゃべりママに話しかけられてしまうこともあります。無視するわけにもいかず・・・

そんな状況を回避するためにも、教室に入るのが一番ですよ。

まぁ教室でも話しかけてくる困った人はたまにいるので、私は「今は話したくないオーラ」を前面に押し出しています。

今じゃなくていいよね?って話を振られたら、相槌はごく短く、小声で「あとで」と言い、視線は合わせない。それでだいたいわかってくれます。

誰が注意すべきなんだろう

ある学校では先生が「静かにしてください」と親たちに注意を促したという例もありましたが、実際のところ先生にそれを求めるのは酷でしょう。

今、保育園でも学校でも先生たちは親への対応にかなり慎重です。トラブルにならないよう、ひとつひとつ言葉を選んでいるのがよくわかる。

私としては『参観する親は教室に入る』というルールが決まっていればいいなと思いますね。中にはそこでもおしゃべりするツワモノもいるでしょうが、かなり減るでしょう。

 

授業参観ってなんのためにあるのか。久しぶりにあったママ友と会話を楽しみたいって気持ちもわからんでもないけど、子どものためにもたったの45分ぐらい我慢してほしい。

親が思っている以上に、子どもたちはその日を楽しみにしてます。

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